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2024年11月24日
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花丸7話でもやはり重傷だった件
2016年11月14日
●アニメ見ててキレそうになったのはJE以来でした。
近所迷惑甚だしいですが、夜中に叫んでTV消そうかと思ったほど。
先日、友人との遣り取りの中で自分がどうして花丸と和睦できないのか、その原因が解ったと思っていました。しかしそれを差っ引いても、わたしは花丸と和睦できないというか、そもそも花丸制作陣が意図した視聴者ではないのだろうという結論に至りました。
また長ったらしくなると思うので畳みます。
見て悶々として、でもTLや周囲の空気的にそれをこぼすところがなくて、同志を探している誰かの気休めにでもなるなら幸いです。
(6話感想ブログに拍手くださった方、コメントありがとうございました。もし届いているならぜひ心で握手を交わしたいのでお名前を…教えていただきたい……!)
▼ショートカット
1 はじめに
2 前半について思ったこと ※感想という名の不満
3 後半について思ったこと ※感想という名n(ry
4 一通り見終わって思ったこと※花丸を許容できない理由の自己分析
近所迷惑甚だしいですが、夜中に叫んでTV消そうかと思ったほど。
先日、友人との遣り取りの中で自分がどうして花丸と和睦できないのか、その原因が解ったと思っていました。しかしそれを差っ引いても、わたしは花丸と和睦できないというか、そもそも花丸制作陣が意図した視聴者ではないのだろうという結論に至りました。
また長ったらしくなると思うので畳みます。
見て悶々として、でもTLや周囲の空気的にそれをこぼすところがなくて、同志を探している誰かの気休めにでもなるなら幸いです。
(6話感想ブログに拍手くださった方、コメントありがとうございました。もし届いているならぜひ心で握手を交わしたいのでお名前を…教えていただきたい……!)
▼ショートカット
1 はじめに
2 前半について思ったこと ※感想という名の不満
3 後半について思ったこと ※感想という名n(ry
4 一通り見終わって思ったこと※花丸を許容できない理由の自己分析
1 はじめに
因みに書いてる人は、主×刀・刀×主以外なら、(好みのかき手さんがかかれる範囲において)読む分には何でも読める雑食です。推しはおだて組でくりみつ・へし薬・にほへし・へし燭あたりを主食にしています。
そのくらい雑食なやつが見て(かなり守備範囲が広い方だという自覚をもって)、見た感想というか反応です。
それから、わたしは坊主が憎いと袈裟まで憎らしくなってしまうことが多いタイプの輩です。
6話でかなり抉られて、その上で7話リアタイした後しばらく呆然として動けないし思考放棄したくなるほど抉られたので、「気持ちの整理をしよう」「とりあえず文字にして吐き出そう」と録画を見ながら思ったことを書き出している(吐き出している)状態なので、ちょっと感想というかツッコミがねちっこいかもしれませんすみません。
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2 前半について思ったこと
●御守にハーブ(おそらくミント?)入れて持ち歩く刀剣男士…はまぁ良い。
でも主に「おねだり」して、ていうのが…いやそこが「とある」本丸で、そこの主がめっちゃ刀剣男士とフレンドリな関係とかならアリかもしれないけど、「類稀な出不精」で、自分の興味? でハーブを育てようとか思ったくせに、自分で世話しないで「主お世話係」なんてものに任命した長谷部に世話丸投げしてるようなヒト? がそこまでフレンドリなやつだとは思えないんだよな…でもドライな人ならそもそもおねだりしに行かないかと思いつつ。
でも花丸の安定ならやるかもしれない、という謎の帰結に終わる。
安定は特に贔屓しているキャラというわけではないのですが、花丸の安定はなんかこう…かなり初期から「幼児か?」って突っ込みたくなる感じだったんですよね。確かに沖田くん至上主義で、花丸での立場上仕方ないのかなと目を瞑っていた部分もあるのですが、それでもわたしは毎回「KY過ぎない?」って、2話とか特に鼻についたし「……は?」って3話の短冊作戦なんか思った。
あんな調子で日本号さん来たらまた「何で?」「どうして?」を連発して長谷部を追い詰めそうな気さえするけどもしそうなった場合の花丸の長谷部の反応がわたしには想像できない。
ところで長谷部の使ってるじょうろがぞうさんから普通のに進化? してるんだけど、ホースくらい買えよ…効率を考えられない長谷部くんは解釈違いです(既に先週決定的に解釈違いだったけど)って思った。
●左文字兄弟のターン。
江雪さんて、板部岡江雪斎さまの刀だったわけじゃないですか。
だからあの僧侶風の出で立ちで、和睦を求め争いを忌避しているわけですよね。
無益な殺生を好まない太刀だと思うんですよ。
そして小夜ちゃんは、復讐に生きることを自身の根幹にある価値観として持っていてそれと葛藤しながら日々を過ごしている短刀なわけじゃないですか(その在り方については極修行の考察なんかを経て思うところを綴ったこれをお暇な時にも御覧いただければと思います)。
そんな小夜ちゃんが「兄様のために」って、花を摘んできたりするだろうか。
そこにすごく引っかかったんですよね……。
わたし、小夜ちゃんは口下手で不器用だけど気を遣うことはできるキャラだと思うのですよ(7面回想から察するに)。
例えば歌仙ちゃんと散歩中に、歌仙が見初めた花を「この花、あの瓶にとてもよく合いそうだ。持ち帰って部屋に活けることにしよう」と言い出してもその是非が解らない、てのが小夜ちゃんなんじゃないかなと思うのですよ。ただ、解らなくても歌仙ちゃんの雅道に水を差したくないから黙ってる。
だから例えば自分に雅さを求められて、そんな歌仙ちゃんの振る舞いを真似て「花を摘む」ってのはアリだと思うんですよ。
ただ「兄様のため」というだけの理由(本当にそれ以外の理由が見当たらない)で、花を摘むに至った小夜ちゃんの思考? 行動原理? がわたしには解らない(そこまで掘ってるキャラじゃないからセリフとかこれまでの考察からのキャラ観での話になりますが……)
3話でも感じたけれど小夜ちゃんもなかなか解釈違いです。
顔を赤らめる小夜ちゃんとか…復讐にとらわれないだろうそんなキャラなら…て思ってしまう(そうすると「復讐は僕の全部です」と光忠に言い切った、小夜ちゃんのアイデンティティがなくなるので、花丸の小夜ちゃんはそういう意味でとても心配)。
●藤四郎兄弟のターン。
ニキが手合わせ指導している。それは別に良い(内番服…白衣着たままでやるのかw とかツッコミたいところはあるけどな)
片手に御守握りしめて、なんか変な責任感を背負って焦ってるふうな薬研に (・v・)? てなる。何なんだ…この同人誌みたいな展開は……。
あと、粟田口短刀兄弟の年功序列? みたいなのがニキが一番上でニキ以外の粟田口短刀が全員弟扱いな描写がなんかもやっとした。
前田くんがニキを「薬研兄さん」て呼ぶのは別に良いんですよ。
体格や、ニキのセリフ(「兄『弟』ともどもよろしく頼むぜ」とか「『弟たち』がはしゃいでるだろうが、大目に見てくれ」など、短刀内では年嵩に位置すると思われる発言)があるから。
でも、所謂大将組だとか、乱くんとか、同体格の面々とはタメなんじゃねぇかなとか。厚くんとかはむしろニキに対して「一人で兄貴ぶるなよ」って、いい意味で言ってくれるんじゃないかなとか、乱くんとか「薬研は一人で抱えすぎ」って窘められるんじゃねぇのかなとか、まぁそれはわたしの(イメージ・考察に基づく)本丸での話でこの「とある本丸」では違ったってだけなんでしょうが、それにしたってなんかもう…なんというか、この制作陣は「原作(ゲーム)や史実のこういう部分をこう解釈してこうキャラ立てしたんだな」っていう意図が感じられないんですよね……。
公式からの派生って、そういう発見がそもそも楽しみだと思うんですけど(あぁでもわたしが偏屈な分析魔だからそうだってだけかもしれない…)、花丸って特に3話からまったくといっていいほどそういうものが感じられない。公式の考察を深める糸口にならない。
それどころか、言葉は悪いですが、Pixivとかツイッタとかで人気を博している設定とかを安易に取り入れて「皆さんに求められているものがこうらしいのでこうしておきました」みたいなのを見せられている気さえする。7話は特にそれがひどかった(特に後半(後半編で書きます))。
●海へ行こうのターン。
なんで本丸から水着着てるの……?
いやまぁ着てても良いんだけど。濡れたまま帰ってくるのか? てかどうやって海に行ったんだ??
それはさておき。
主の部屋で、主が聞いてるところで、でかい声で「類稀な出不精だ」と言い放つ、配慮のない長谷部くんにまたしょっぱい顔になってしまう。お前…出不精って褒め言葉じゃないっていいかげん憶えようぜ…てなる。
誰か教えてやってくれorz
そして海。
どこの海だから判らんけど海。
わたしヒトデを手掴みして乱くんを揶揄うニキにすっごい嫌悪感が湧いてきて「なんッ…なんだよこれは!!」って夜中に叫んだんだけどどうなのあれ……。
薬研も短刀らしいところがある、て許容されてるっぽい…のか? 判らん(確認する気力がない)
でも仮にもそのヒトデが有毒で、「体が痺れる」こともわかっていて、下手したら事故になりかねないこと(乱くん追っかけてて砂浜で躓いて倒れてあのヒトデが乱くん刺したり自分が刺されたりする可能性のあること)を、花丸内では弟たちのまとめ役――いち兄に次ぐ兄貴分として振る舞おうとしているニキにさせるのは作品内(もっと短く7話前半内にしてもいいけど)でさえ解釈違いというか、アニメの設定内でも矛盾してない??
て、わたしはすげぇもやっとした。
それを、「自制できないくらいニキもはしゃいでたんだ」と、好意的に受け取る向きもあるのかもしれません。
でもわたしは無理でした。だって、あの場に「何かあった際に対処できるのが薬研しか(恐らく)いない」状況と、「事故があったら次がなくなるかもしれない」可能性と、「せっかくの海が楽しい思い出でまとまらなくなる」可能性が視野に入らないニキではないと思うからです。そんなリスクを無視してあんな軽率を働くニキなら兄貴分として振る舞わないだろうし、手合せ中の焦燥感とか感じないんじゃないかなと思う。
ウニってさ…今ちょっと調べてきたら(知恵袋ですけど)、勝手にとったらいけないんだね……。
博多くんの「いい金になる」発言は、だから2205年時点でこの法が生きてるなら密漁(れっきとした犯罪)になりますね……。まぁ、刀剣男士という付喪神(カミサマなんですよねぇ、一応)を人の法で裁けるのかっていう問題がありますけど。
そういうことを、例えばテロップの注釈なしに、深夜とは言え幼児も見ている(らしいのをTLで見掛ける)アニメで描写するのはどうなんだ、て思ってしまってな…スタッフはもう少し考えてもいいんじゃないかなって……。
明らかに犯罪だと判る(人殺したり窃盗したりという推理モノとか警察モノによくある典型的な犯罪)ものに注釈は要らんと思うけれど(社会常識だろうしな…)、こういう「知らない人がいるかも?」みたいなのはせめてテロップ入れるくらいの描写はほしい。むしろニキを兄貴分キャラとして推し切りたいなら「おい、博多それ犯罪だからな」くらいのツッコミをニキさせて良い。てかさせるべきだったんじゃないかと思った次第。
●再び左文字兄弟のターン。
小夜ちゃんの花を持ってくる…のにちょっと引いた。
あと江雪兄さまの扱いがひどすぎて江雪兄さまクラスタ生きてる?? て心配になった。
●安定と清光のターン。
清光の物言い(「沖田くんなら~」って言い方)が、わたしはちょっと嫌だった。清光はちょっとめんどくさいところがある打刀だと思ってはいたけれど、そういう遠回しな言い方はしないんじゃないかなって…いやこれもうちの本丸の清光と花丸との違いってことなんだろうな…うん。これはだから多分わたしの個人的な引っ掛かり。
左文字兄弟の仲の良さ(あれを見て仲が良いって判断できるむっちゃんすごいな、て…わたしは思ってしまう無粋なやつでごめんな)、に…しんみりする粟田口兄弟。
なんかむっちゃんがKYみたいな描写がちょっと嫌だった。
(ところでカメラが進化してる…そういう細かい遊び心はきらいじゃないけどそんなことに気遣う余裕があるならキャラ解釈をもっとしてほしいなって…つい、思ってしまう)。
前半がやっと終わった……。
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3 後半について思ったこと</a>
●粟田口のターン。
なんか、この本丸の粟田口兄弟がわたしはちっょと恐い。
まだ来ぬ長兄――一期一振を待ち侘びるのは良い。でも、「来たときに話ができるように」と、(長兄がいない時間の)日記を認めるのとかちょっと…わたしは狂気じみて見える……。
多分前半でかなり精神的にヤられてるからかもしれないけれど。
そうやって書き溜めたものには全部いち兄がいないんですよ? それが貯まれば貯まるほど、「いち兄がいない」っていう負の想いが蓄積されているってことじゃないですか。
そしてそれをいち兄が来てから見せて話すつもりであるならば、「これだけの時間いち兄は来てくれなかったんですよ」って訴えていることになるわけですよ。その意図が話し手側になかったとしても。いち兄には何の責任もないのに。
そう考えたらなんかおっかないなぁと。
万葉桜に吊るした短冊じゃないけど、ちょっと…わたしは恐ろしい。
でもそれを、秘めているより良いと、花丸のニキは言うんだよなぁ……。
まぁ、それぞれが個々に抱えたままで苦しみ切なくなるよりは、共有して慰め合えるって考えなのかもしれないけど(仮にニキがそう考えているのだとしたら、その思考については理解できる)。
●最初判らなかったんだが(画面暗すぎてさ…わたしブルーカットのレンズ使ってても輝度が高いの苦手で画面の輝度めちゃくちゃ落としてるから暗い画面ほんと見えにくいんですよね)、ニキ…何度も鍛刀部屋を訪れて、いち兄が来てないか確認していたのか。
それで…うん。
まぁ自分のモニタの輝度が低すぎて気付かなかったんだが、ニキ…鍛刀部屋の隅っこで膝抱えて俯いてたのな……。
ニキドウシタノ……???
いやそんなメンタルだったら「ズエリャァァァ」とかしなくない? 雄々しくて割と淡白なニキはどうしたの? ていうかなんでそんなにまだ会ってもいない(刀だった頃に一緒にいたこともない)いち兄に、なんでそんなに執着しているのかが解らない。
責任感?(しかし何に対して?)
重圧?(だから何にt(ry )
ニキが鍛刀請け負ってて失敗し続けてるとかならまだ解るけど、そうではなさそうだし。
そして寝落ちしてるのをばみさんに見つかるニキ……。
からの、安定と清光。
布団くっつけて寝てるの…え? そんな部屋狭くないのに……てちっょと突っ込まずにいられなかったんだが、それ以上に粟田口の誰かがまだ来ていないいち兄に手紙書いてたのがやっぱりわたしはこわかった。
あとな、すっげぇこまっかいところなんだけど、メガネって直線なんですよ。
顔に沿ってカーブしてないのね。
だから横顔に対してメガネが目に重なって見えることって、レンズ部分がカーブしてるおしゃれサングラスとかでない限りないんですよ。とりあえずニキのメガネではあぁならない。それ誰も突っ込まねぇんだなって、ちょっともやっとした。
それはさておき。
富士札を手に入れてくる鳴狐さん。終わった後のTLで「富士札に効果があると思わせる演出誤解を招くひどい」的なツイ見て「せやなw」って、それだけは7話に対する感想ツイで激しく同意したw
で、まぁいち兄が無事に召喚されたわけですが。
もうな、この…こっからの一薬テンプレみたいな遣り取りは何?
わたしは何で公式の手で作られた一薬アニメを見せられているの??
て、なんかサントラとストーリで強引にイイハナイダナーてさせようと畳み掛けてくるのがもう本当に受け付けなかったし、公式が追認するみたいな同人でよくありそうな感じの「いかにも」な一薬の遣り取りをさせているのがキツかったし、花丸スタッフは典型的な一薬の薬研を描く気しかないのかなって(とりあえずわたしに)思わせるには十分な演出で、なんかもうほんとうに途方に暮れた。このあたりからもう本当にどうしたらいいのか解らなくて呆然としていた。涙なんか見せらて呆れるしかなかった。
月が綺麗ですねする薬研とかほんと…なんで突然雅なの? 雅解らないの貴方のアイデンティティでしょ大丈夫?? てなったよね……。
とりあえず夜が明けてですね。
刀紋を見て誰だか識別できる理由がわからないのがすっきりしない。まぁ召喚できる刀剣男士リストと合わせて刀紋がわかっているとかなんだろうけどそもそもそれって史実にないものだからどういうシステムで政府が刀紋を把握したのかが解らないのでやっぱりもやっとする。
いち兄が一晩で日曜大工してのけたのはウケる。ギャグなの? 材料どうしたの??
あとブランコどうみてもそんなでかくないよね。……伸びた?
あと木の枝が折れずに綱が切れる、というのがどうにも判らん。綱に切れ込みがあって――みたいな物騒なことを、推理小説界隈にいた人間は思う次第。
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4 一通り見終わって思ったこと
●ここまで書いて、花丸7話に対してツッコミというか、見ながら不満に思ったことみたいなのを都度書いた「花丸7話のここが嫌」みたいな文章でしたが、そんな各話における不満ではなくて、もう少し全体的な話がこのターンです。
●先週6話を見て、これまでちょいちょい積み重なってきた不満にとどめ刺された感じで、今週更に抉られたんですが、それでも今週は6話のお陰で自分が花丸を許容できない原因の自己分析ができた上で諦めつつ見ていた状況です。
それでもわたしは先週よりダメージが大きかった気がしています。
さて、7話の感想が飛び交うTLの中でこんな趣旨のつぶやきを見掛けました。
「長谷部が歌おうが江雪がサーフィンしようが良いではないか。うどんミュをdisられるたびに腹が立つ」
「~はこんなことしない・キャラ崩壊されてつらいという反応に関して刀剣においては理解できない。それぞれの本丸で少しずつ違うのは当然で、他所の本丸にケチつけるならアニメ見るべきではない」
どちらも同じ方のコメントです。
確かに、それは「同人誌」というフィールドにおいては通用する言い分だとわたしは思います。しかし、仮にも公式の看板の下に描かれるアニメという媒体で振りかざされるべきではないとも思っています。
花丸に足りないのは、圧倒的に「必然の演出」ではないかとわたしは思うのです。
例えば、真田丸を例に挙げてみるととても良くわかると思うのですが、真田丸もね、突然歌いだしたんですよ。しかも、戦の最中に。そういう状況だけ見たら、花丸よりも常軌を逸した行為だと言えるでしょう。料理中に歌い出す方が、戦中に歌い出すよりは自然だとわたしは思います。
でも真田丸においてはその行動に意味があるんです。
「敵を煽る」
「敵を挑発し、こちらの意図(=策)通りに敵を動かす」
そういう必然があって、突然歌い出すんです。
だから別に、花丸6話で長谷部くんが突然歌いながらうどん作っても良いんですよ。必然があれば。例えば新しく来た博多くんと山伏さんの歓迎会で、歌いながらうどんを作るという出し物をする必要があって、その練習も兼ねてやっていた、という伏線として使って最後にそれが回収されるとかならまだ受け止められるんです。この本丸はおめでたいね、で済むんです。
済まなかったのは、何の脈絡もなく必然性を感じない状況下で、見る人によってはキャラを貶めるような行為をさせているからなんですよ。
別に江雪さんがサーフィンしてたって良いんですよ。江雪さんは争いが嫌いだっていうキャラ付けがあるんだから、あぁいうイベントは争う要素がないので親睦を深めるために参加することにしましょうって考えたのかなと思えないことはない。そして、サーフィンというものを知って、「波のこころを掴むんじゃ」とかむっちゃんに言われて「波と…和睦できるかが鍵、なのですね……」なんて遣り取りがあって、和睦を求めるこころを少しコミカルに描いた結果があぁなった、ていう必然(ととれる過程)があれば別に、ここまで反感を覚えなかったと思っています。
前述の小夜ちゃんが花を摘んできた、という描写も、無益な殺生を好まない江雪兄さまに対して、「やっと会えて嬉しいことを伝えたいのに僕は復讐しかできることがない」的な相談をしたら「花を送られて嫌な顔する人はいないと思うよ」的な(ベタですけど)助言を受けて、とかならアリだと思う。まぁ小夜ちゃん→江雪兄さまのお花の件はわたしがちょっと穿ちすぎなのかもしれないと思わないでもないんですが(苦笑)。
結論として、花丸はどうにもこう…演出(見せ方や開示すべき情報の扱い方)が稚拙だと、わたしは感じるんですよ(真田丸見た後に見るから余計にそう感じるのかもしれない)。
キャラってのは名前とビジュアルがあってればいいってものではないと、わたしは思います。
ましてや公式の側にあるものが、「どの部分をどう解釈したらそのキャラがそういう行動に出ると至ったのか」が理解できないようなキャラの書き方をしたらいけないんじゃないかと、わたし個人としては思うんです。
何の前振りもなく、公式と同じだけのキャラ情報で、どうして突然歌いながらうどんつくる長谷部くんに違和感を覚えずにいられるのか――「とある本丸」だというマジカルワードはあるけれど、それは必然も行動理念も汲めないような行動をそのキャラがとっていい理由にはならないと思うのですよ。
同人のネタ練りってそういうものじゃありませんか?
そのキャラのセリフの端やその言葉を口にしたときの声のトーン、辿ってきた来歴なんかを手がかりに「このキャラはこういう思考回路の主なのでは」「このキャラってこういう性格なのではないか」そしてそういうのを元に、「このキャラはこういう場合にこうするのではないか?」って考えて作るものだと思うのですよ。イラストとか、もっと瞬間的なものにおいてなら、「(多分絶対にないだろうけど)~なところを見てみたいと思ってしまった」をカタチにする、というのもまぁあるでしょうけれど、それはだから同人だから許容されるもので、公式が同じ言い分では困ると、わたしは思うわけです。
●7話を見てわたしは、「花丸の制作陣(もっとピンポイントに見ると脚本担当)は、キャラの考察ってしないのかな」という印象を受けました。アニメを見ていて、わたしが既に好意的な目で花丸を見れなくなっているからかもしれませんが、なんというか…とても視聴者(しかも同人界隈)におもねったキャラ付けでありストーリづくりだなと感じてしまったのですよね……。
同人誌でよく描かれる、いち兄がいない間長兄の代わりを務めようとするニキとか。
いち兄が召喚されて、「もう背伸びしなくて良いんだよ」と、肩の荷が下りたように涙を見せるニキとか。
同人界隈(Pixivとか)でよく見るもの――視聴者の好み――に対して、「こういうのが見たかったんでしょ? どう??」ってされてる気分になってしまう。
だから、わたしは多分、花丸制作陣が意図した視聴者ではなかったのでしょう。
そして恐らく、残念ながら花丸見て「解釈違いだ」と感じる人も、わたしと同じような状態なのではないかなと思います。
(想定外と受け取れる)行動には理由を
(異色ととれる)演出には必然を
そういうのを見るものに求め、それを楽しむのが創作物を見る楽しみだと思うひとには、そういうのが見受けられない演出にただただ呆然とするしかできないんだと思います。
つまりですね、わたしが先週得た悟りは心理なんじゃないかなと思うんですよ。
花丸は、これまであの立ち絵と限られたセリフと自分で掘った歴史的背景だけで自分の中にある程度キャラ観を組み立ててきてしまった人ほど和睦できないシロモノなのではないだろうかと。
そのキャラを特定のハコ――状況設定下――においたとき、「このキャラなら多分~と考えて…という行動をとるのでは?」て考え方をする人ほど、そのキャラの行動理由が汲めない演出ばかりの花丸は理解不能になり呆然としてしまうのではないかと思うのです。
逆に、同じことをしたときに「~は…ってすると萌える」「~が…なところを見たい」と、絵だけで考えるタイプの人は、割と寛容に受け止められるんじゃないかなと考えます(違ったらすみません)。
どっちがいいとか悪いとかではないんです。ただ花丸を楽しむには後者の思考パターンの方が向いていた、てだけです。向き不向きの問題なんです。
引用した、RTで見掛けたツイ主さんは、わたしはだから問題を履き違えていると感じます。
結論としては、わたしは花丸アニメの視聴者として不向きだった(というか、恐らく制作陣と創作のスタンスが合わなかった)。
そういうことなんだろうなと思いました。
来週日本号さんの冒頭ナレ聞いたらもう見なくていいかなって…むしろ見ない方がこころ穏やかにいられるんじゃなないかなって…そんな気が致しました。
いつも通り、あくまでこれは一個人の感想であり考察(自己分析)の産物なので、争うつもりはありません。気に入らない点は「なかったこと」して読み流してくださいますよう御協力のほどよろしくお願い致します。
「同志よ……!」と握手を交わしたい方の、幾許かのこころの慰めになれば幸いです。
※拍手をそっと置いておきます。
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私が瑠維さまより、作品を許容出来るのは、『無知ゆえに疑問が湧かない』に尽きると思います(笑)
例えば、薬研さんの眼鏡の事(弦が真っ直ぐだと目に被らないとか)、そしてブランコの枝が折れずに紐が切れた事など。
キャラクターや彼らの行動に対しても同じで、ゲームに殆ど着手出来てない私には、瑠維さま初め、ゲームで彼らの性格(口調や行動、思考なども)をよく知り、公式の世界を見てきたユーザー程、強い違和感や嫌悪感を感じない為なのでしょうね‥‥
なるほどと、府に落ちました。
だからこそ、瑠維さまの同人でするなら良い、でも『公式』 だからそれではいけないんだと仰る気持ちとか、意味がよく分かりました。
私ももっと、公式を知っていたら耐えがたい内容だと思うからです。
正直、無知でもミュージカルとAWT48はムリでした(笑)安定の短冊作戦も『めんどくせぇな』と思いました(笑)何でだよ!!と(笑)
狙いすぎた同人化は却って、ファンを冷めさせますよね‥‥‥‥